会社員時代の話

会社員時代の話

通訳とは関係ありませんが、勝手に自分の会社員時代を振り返ってみました。

  • 財布を落とした!
    突然ですが、新年早々、財布を落としまして、、、大変な目に会いましたので、ちょっとその話を。。 皆様もお気をつけくださいませ! 1月6日月曜はいきなり出社となりまして(いつもは在宅なんですけどね)9連休明けの朝から出社はなかなか体に堪えます。が、気合でいつもより早く起きて電車に乗って出社しました。 出社しただけで、もう、仕事は半分以上終わったようなものです(笑) あとは惰性で仕事して、帰るだけ! 幸い、午後は、在宅でできる仕事だったので、お昼休みに帰宅することにしました。(一日中会社にいなくていいだけでも大変ありがたい今の職場です。。) 午前の仕事を終えて、とっととオフィスを出て、駅に向かい、すぐに地下鉄に乗って帰路につきました。途中で乗り換えのために駅を降りた時、ちょっと違和感を感じました。私は、小心者の癖で、電車を降りるときは必ずと言っていいほど、ズボンのお尻のポケットを上からトントンするのです(笑)財布やらスマホやら、ちゃんと入っているよね、という確認です。いつ頃からこの癖が付いたか覚えておりませんが、とにかく、電車を降りるときには、ポケットをトントンと上から軽くたたくのです。情けない癖ではありますが、まあ実用的と言うことで(笑) 「あれ?お尻が真っ平?」あわててポケットに手を突っ込んでみましたが、何もない??えー? あー 財布がない??とちょっと頭が真っ白になりかけてます。「落ち着け!俺!」と言い聞かせてみますが、そんなことを心の中で叫んでいる時点でかなり慌ててます(笑) 「やっべー、財布がなくなったよ。。どうしよう。。。」 そこで思い出しました! 「そうだ、こんな時の為に、財布にはTile(タイル)を入れてたんじゃん!」Tileとは、これです。探し物を見つけてくれます!といういわゆるスマートタグです。これがあれば見つけられる! さっそくスマホを取り出して、Tileアプリを起動して、財布の現在地を調べます。アプリは財布が自分の近くにないことを表示してます。もし数十メートル程度の距離だったら、音を鳴らして探すことができるのですが、近くにはないということです。ということはどこかで落としたに違いない。そんな時は、最後に検知された位置表示を見れば、どのあたりで落としたかがわかるはず。検知された位置情報の履歴を見ると、電車に乗った駅にあった履歴があります。が、その後の位置が検知されていません。 スマートタグは、GPS端末のように位置情報を自分で測定はできないので、同じ種類のタグを持った別のユーザが近くを通りかかる際に、タグ同士で通信をして、位置情報をユーザのスマホ経由で取得します。なので、同じTileを持った人が近くに来ないとダメなのです。よって位置情報がわかるという保証はありません。あくまで運が良ければわかる、というものです。 私の財布は落としてから、しばらくして近くにTileのユーザが通りかかったようです。しばらくして位置情報が検知、更新されました。更新された位置を見ると、最初に乗った駅から反対方向に向かって移動しているようです。「え?まじ? 誰かに持っていかれてる?反対方向に移動しているじゃん。」しばらく位置情報の更新を待ってみましたが、その後は更新がありません。うーん、どういうこと?しょうがないので、とにかく、最後に検知された場所(グーグルマップに表示されてます)に行ってみることにしました。 マップ上ではここにあるはずなんですが、現地に行ってみても何も見当たりません。駅の事務室に行って、落とし物聞いてみても、該当なしという答え。完全に空振りです。しょうがないです。ここはいったん諦めておとなしく自宅に帰ることにします。不幸中の幸いは、スイカは財布ではなく、スマートウオッチに入っているので、財布がなくても電車には乗れるのです(笑)ぶっちゃけ言うと財布には大したものは入っていません(笑)現金少々とクレカ2枚だけ。クレカは最悪、止めればいいので、実質被害は、現金少々のみってことにはなるのですが。。。でも、やっぱり失くしたショックはデカイです。。 帰宅する途中で落ち着いて考えると、落としたのは駅か電車の中ですから、駅の落とし物コーナーってやつに届けられてる可能性が高いはず。さっそく駅の電話番号を調べて電話してみました。「駅で財布の落とし物届いていないでしょうか?」「少々お待ちください。うーん、ここには財布の届けはないですね。」 やっぱりなあ、そんな簡単には見つからんよな。。とあきらめかけたのですが、諦めるにはまだ早い、、「電車内で落とした可能性もあるのですが、その場合はどこに問い合わせればいいですかね?」と食い下がってみました。すると「財布の中に名前のわかるもの、はいってますか?」「はい、クレジットカードが入ってます」 「お名前は?」「xxよしきです」 「でしたら、こちらで調べられます。少々お待ちください。」「はい。。。」 「お待たせしました。えーっと、ありました。xx駅に届けられてます」 なんと!!!いきなり見つかったとな? ちょっとびっくりです。しかも、XX駅ってタイルがここだと言っていた場所とは全然違います。すっごいうれしいけどでもちょっと半信半疑です。しかし、ここでせっかく見つかったと言ってくれてる駅員さん「ほんとですか??信じられないんですけど?」とか言ってはバチが当たりますのでぐっとこらえて「ありがとうございます!ではその駅に連絡して取りに行きます!!」 その日の夜、仕事を済ませた後でxx駅に向かいました。まだ完全に信じられませんが、、まあ行ってみるしかありません。 駅について、事務室を見つけると、「落とし物を受け取りに来ましたー xxです」「あ、はいはい。xxさんですね」 金庫みたいなところに保管されているようで、鍵を取り出して、金庫を開けて、袋を取り出し、その袋の中から、私の財布が出てきました。 「こちらですかね?」 「はい!これです!!」もう私は大興奮です。その場でスキップというか小躍りしてそうな感じです(笑) が、駅員さん、そんな私の大興奮にまったく反応せず(笑) 「じゃあ身分証明書をご提示いただいて、この紙に記入してくださいね。」と極めて事務的に話を進めます。うーん、この喜びを駅員さんと共有したい!というのはちょっとムリな注文なのか?なにせ向こうはこんな落とし物を毎日扱っているんだろうしなあ。。 しかし、すごいではありませんか。財布の中を確認しましたが、少々入っている現金もカード類もまったくそのまま落とした時のままで、私の手元に帰ってきましたよ。しかも、その日のうちに。。普段は、日本ってすごい!とあんまり思わない私ですが、今日ばかりは、さすがっすねニッポン!日本の地下鉄偉い!と言いたくなったのでした。どこの誰だかわかりませんがすぐに届けてくれた方、駅員の方々、本当にありがとうございました!!! 余談です)落とし物って名前がわかるものが入っているとすぐに検索してくれて、落としもの届があるとすぐわかるみたいです。すばらしい!今後は落としそうなものには名前をわかるものを入れとこうと思います! 逆にキーホルダ付きの鍵などは、名前がないので、まず見つからないようです(数年前に自分で経験済みです💦トホホ) ついでに言うと、Tileは、こういう時には役に立たないことがわかってしまいました💦 位置情報の更新が運任せだし、精度も出ないので。 家の中で失くした時などは音を鳴らして探せるので、その時は役に立ちますが、、外で落とすとダメということですな。今後はお尻のポケットをトントンする頻度が上がりそうです。かっこわる。。。ということで、今日の教訓は、頼りになるのは最新技術のTileより、真面目な日本の皆様です!
  • 出張の思い出(極寒編)
    海外出張の場合、そんなに変なところに行かないもんですよね。だって仕事ですから、会社や工場があるところに行くわけで、そんなに変なところじゃないわけです。しかし、たまには変なところ、普通じゃ行かないよなあ、みたいなところに行くこともあります。今日はそんな変なところに行った時の思い出です。 北欧フィンランドの会社に勤めてた時期がありまして、その時に日本のお客さんを連れてフィンランドに出張したことがあります。季節は冬。本社のあるヘルシンキや工場があるオウルだけに行ったのではつまらないと現地の責任者が(勝手に)思ったようで、「もっと思い出に残るいいところに行こう!」ってことで、工場でのお客さんとの会議もそこそこに、北の最果ての地、北極の一歩手前のトナカイだらけのラップランドに行って一泊することになりました。確かに冬のフィンランドは寒いし暗いしでつまらない(笑) サウナに入るくらいしかすることがありません💦 ならばってことで極寒の地ラップランドに行ったわけですが、当日の気温がマイナス27度。これは普通に考えるとやばい気温ではないかと、野外でのアクティビティなんてやっていいのか?現地の人曰く、マイナス30度まではオッケーなんだそうで(笑) 何がオッケーなのか?は知りませんが、予定していたアクティビティを予定どおり開催します!そのアクティビティとは、スノーモービルで雪原を走り回る!ってやつです。当然ながら私たち免許持ってないと思うけど?そんなの関係ない?現地の貸スノーモービル屋さんで、15分くらい、操縦の基本を教わります(笑)そして、スキーウェアみたいなつなぎ服に着替えていざ出発です!スノーモービルはヤマハ製です!でかい!大型バイクよりでかいぞ。操縦は基本的にバイクのような感じで、右手でスロットルを回してエンジンぶん回してハンドルで行きたい方向に向けていくわけです。バイクには若いころ乗ってた私ですが、スノーモービルなんて生まれて初めてですので、最初はなかなか曲がれません。また勢いがつかないとなかなか雪を上を疾走しません。そろそろと運転してはダメなのです。躊躇してはいけないのです。乱暴なくらいがちょうどいい感じのようです。そして、うるさい!すごい爆音です。 いよいよ出発です。総勢10人くらいでインストラクターが先導して、ぞろぞろ1列で続きます。最初はゆっくりでしたが、だんだん速度が上がっていきます。雪原を疾走していきます!雪と氷交じりの風が顔面を直撃します。ゴーグルしてるとは言え、隙間から冷たい風が入ってきて、もう顔はカチンカチンに凍っているような。。ゴーグルが曇ってきて前もよく見えなくなってきました!怖いよー! ちょっと止まってもらえないっすかね? そんな気配ないなあ。。でも、ここで置き去りでもされたら、命にかかわります!(笑) 必死で速度を上げてついて行きます。気が付くとなんかすごいスピードで走っているですけど。。。日本の法定速度は優に超えちゃっているような(笑)いいんでしょうか?? ちなみにこの辺りの緯度ですと冬は昼間でも真っ暗です。ヘッドライトの明かりだけが頼りです。出発するときに行先がどこか?なんてなーんも聞いてませんし、誰も気にしていません💦 とにかく走り回るのが目的のようです。。。 よく覚えていないのですが、多分1時間くらい走り回ったのではないでしょうか? 途中で、雪の山に激突して埋もれた人などを救出したりしながら、なんとか出発地点のスノーモービル屋さんまで戻ってきました。真っ暗だし、みんなゴーグルして顔がわからないし、誰か1人くらいいなくなっても気が付かないのでは?と心配になります(笑) これって日本じゃアウトだよなあと思いました。が、海外ってそういうもんですよね。事故なく帰ってこれたから良しとしましょう! さて、アクティビティはこれで終わりではありません。その後は夕食の後で、恒例の、サウナ行った後で凍った湖にドボンするという儀式が待っています(笑) ちなみに私たちは日本人が6人(そのうち、お客さんが3人)と、ヘルシンキから参加したフィンランド人が2人という感じでした。サウナに関してはフィンランド人が入り方と氷の張った湖に開けられた穴にドボンする作法をドヤ顔で語ります。極寒の地で素っ裸で氷の張った湖にドボン!するなんて正気の沙汰ではありませんが、「ここではみんながやるんだよ(笑)」と言われては、逃げるわけにはいきません。ここまで来るとお客さんだろうがなんだろうが立場は同じです、日本人として恥ずかしい真似はできません! 見事にがっつりサウナにはいり、湖にドボンしてみせましょう!と覚悟を決めたのです。 そして、説明していたフィンランド人が最後に一言、「今日俺はちょっと風邪気味なので、残念だけどパスするね、てへっ」と、、見事な逃げっぷりです(笑) 日本人の場合は、風邪ひいてようが何してようが、変なプライドが邪魔して、ぜったい、ここで、「私はパスします」なんて言えないです。悲しい性ですね。 さて、全裸になり、サウナに入ります。ここまではオッケーです(笑)サウナ気持ちいい!すっかり温まりました。ここからが試練です。サウナ小屋から湖までは約20メートルくらい、凍った地面をはだしで歩いてドボンの地点まで行きます。歩き出して気が付いたのですが、ゆっくり歩いていると足裏と地面の間が凍り始めてくっついてきます。数秒で凍る感じです。これはやばい!急ぎ足で行くしかありません。湖畔に着くと、桟橋みたいになったその先の凍った湖面に直径2メートルくらいの穴が開いてます。そこに梯子がかかってます。これを伝って、そろそろと入水するのですね。さすがにドボンと飛び込むんじゃないんだ、よかったー。 実際やってみてわかったのですが、外気温がとにかくすごいので、実は、水の方があったかい(笑)サウナ小屋から湖までが地獄の寒さでしたので、入水すると、なんだかぬるいお風呂はいったような気分になりましたよ。人間、慣れって怖いですねー。 何分水の中にいたのか覚えていませんが、水に入ってない頭はガチガチに凍ってます! こんな経験他ではないっすよ。確かに(いいか悪いかは別にして)思い出にはなりました! ありがとうフィンランド! こんなことを日常的にして喜んでいるフィンランド人って、さすが、世界幸せランキングでいつも上位に来るわけです。見習いたいものです。 以上です!
  • 外資系出張のお話
    出張と言えば、行くことばかりではなく、来る方もありますよね。外資系にいた頃は、本社からいろんな人が日本に出張してくるわけです。 今日はそんな出張に来てた連中についての話を書きます。アメリカの本社から、エンジニアがやってきて、日本で試作品をテストしたりするのですが、その時の私の仕事は彼らと一緒にテストをすることでした。 そのころ作ってたのは携帯電話です。実験室での試験を終えた携帯電話の試作品を実際の環境で使ってみて、動作に異常がないか、性能は十分か、を確認するのです。フィールドテストと呼んでました。試作品と一緒にエンジニア数人が出張してくるわけです。滞在期間は1-2週間で、宿泊は、都内の高級ホテルです。別にそんないいホテルに泊まらなくてもいいじゃん(こっちがアメリカに行ったときは、郊外のホリデーインなんですけど!)まあアメリカ人は、基本的に主張する人種なので(笑) 日本行くならこのホテル(皇居の隣にあるようなホテル、、、)じゃないと嫌だとか平気で言うのですよ。言ったもん勝ちの様相です。当時は日本の物価はすごい高い(特に東京は)ので、すっごい高いホテルに泊まっても、「まあ日本なんだから高くてもしょうがない」、、みたいな感じで、会社も承認してたようです。今とは様子が全然違いますよねえ。 さて、そんな高級ホテルに泊まっているエンジニア連中ですが、仕事をしに来たはず(笑)なのですが、いろいろ主張が激しい(笑) フィールドテストは「ディズニーランド」に行きたい!とか(笑) え?本気で言ってます?半分本気だったようです。会社の金でさすがにディズニーランドはまずいだろうってなったら、次は、「じゃあ京都にしよう!」と言い出しました(笑)どうしても遊びの要素を入れないと気が済まないようです。別に京都で携帯電話をテストする意味などない(はず)なのですが、東京からわざわざ新幹線に乗って、京都に行きました。そして、京都に着いたら、行先は清水寺!(笑) 寺を見たあとで、携帯電話試作品をテストします。清水寺の片隅で、外人数人が怪しげな、機械とパソコンで、何か、実験ぽいことやってます。職質受けても文句は言えない状況ですね(笑)もしなんか言われたら、日本語わからないふりでもするしかないか💦 仕事は一応するのですが、予定が終わらなくても、残業なんかしません。昼間より夜が忙しいのです(笑) 東京の夜と言えば「六本木」(笑) 出張に来る連中のほぼ全員が、口をそろえて「夜は六本木に行きたい、連れてって!」と言うのですよ。はあ。。しかも、「ハードロックカフェTOKYO」に行くんだ、と。そこでTシャツ買うんですよ、マジで。何が楽しいのか本当に理解できません。なぜにわざわざアメリカから日本に来てハードロックカフェに行くんだか。その後はいろんなバーを渡りあるいて、深夜にタクシーでホテルに帰還するのです。 最初はこっちも面白がって一緒に行ってましたが、何度も行くと「もう勘弁して」状態になりまして、六本木への行き方は教えるからあとは勝手に行ってくれ、という風になりました。余談ですが、ある日、六本木に繰り出したアメリカ人連中がぼったくりバーで意識が無くなるような薬を飲まされたようなのですが、薬の効きが体のでっかいアメリカ人には弱かったようで(笑)「昨日行ったバーではなんか妙に眠くなったんだよ。それでもしっかり飲んできたけどね。」と言ってたり。。。 アメリカ人の主張のすごさにはいろいろあきれるやら感心するやらです。いくつか例を挙げると。 誤解のないように言っておきますが、彼らは観光客ではないんです! 仕事で出張に来ている連中なのです!! ということで、結論は、「言ったもん勝ち」(笑)
  • 海外出張外資系の場合 その2
    いくつかアメリカに出張に行ったときのことを書きたいと思います。初めてのアメリカ出張(外資系の場合)ではセルフ給油ごときで心臓バクバクしていた私ですが、何度か来るうちにだいぶ慣れてきました(笑) こちらでアメリカ人の仲良しの同僚もできて、出張に来るたびに遊びに連れて行ってくれるようにもなりました。うーん、さすが外資系っす。まあ彼らが日本に来た時はこっちがいろいろ「おもてなし」するんですけどね(笑) とにかく六本木に行きたがるアメリカ人、、、😥 その時の話もいろいろあるのですが、その辺はまた別の機会に。。 さて、仕事場はシカゴの郊外の工場なので、週末に遊びにいくのはシカゴのダウンタウンです! フリーウェイを走れば1時間くらいで行けちゃいます。ある日、シカゴはブルースの本場だぞ!ってことでブルースの生演奏を聴きにつれてってやる!とか言われて私と同僚のアメリカ人3人の計4人で夜のダウンタウンに繰り出しました。私は別にブルーズに興味ないけど、まあそんな野暮なことは言っちゃいけません(笑)どうせ彼らは自分たちが行きたいだけなんだろうけど、「はるばる日本から来たよしきが「ぜひ連れってて!」と言っているからしょうがないんだ」という家族をほったらかして土曜の夜に出かけるいい言い訳ができたということっすね(笑) 当然移動手段は車なのですが、ケチなのかなんなのか、4人で相乗りです。そして、「いい車借りてるじゃん、今日はよしきの車で行こう!」って話になって、私の車で行くことに。「でも保険の関係があるから悪いけど運転手はよしきね!道がわからない?大丈夫、道は俺らがわかってるから!」と言われて、はあ、、こっちは出張で来てるだけなんだけど、ここで俺が運転手で見知らぬ土地を運転しろってか??しかも行先はシカゴのダウンタウンですよ!ちょっと変なところに迷い込むとホールドアップされるかも?みたいな物騒などころですよ!そんなところで運転を土地勘のまったくないジャパニーズに任せて大丈夫なのか?なぜ俺をそんなに信用できるんだ??とかなり疑問でしたが、1対3なので、どうにもこうにも。はいはい私の運転でドライブです!ほんとに適当だなあアメリカ人。 はい、ここを右とか、はいここを左とか言われるままに運転して、午後7時頃会場に着いたと思います。もう、これが噂のダウンタウン!って感じの場所です、暗いっす。通りにはやばそうな人が佇んでます。ここにきて、「道で変な奴に声かけられても絶対に相手にしちゃだめだよ」、とか言われても、、そんなこと言われてる時点でかなり怖いっすよ~💦 会場は、一見した感じでは普通のバーというかレストランのようですが、小さいステージがあるので、そこで演奏するんですかね。。まだ始まる気配すらありませんが。。。 ビールでも飲みながら待ってる感じですな。。 何時に始まるのか、見当もつきません。みんな気にしないで雑談してますな。ここで何時に始まるの?なんて聞いては野暮ってものなのでしょう。。しょうがないひたすら待ちます。 途中の記憶が飛んでいるのですが、とにかく演奏が始まったのはなんと午後10時頃。。おいおいこんなに遅い時間にスタートかよ。。ブルースの演奏が始まりました、それなりに盛り上がりつつでもブルースなので、みんな静かに聞いてます。なかなか渋いので、それはいいんですけど。そろそろ12時ですよ? 終わらない?うーん、終わらない。午前1時になったけど、、うーん、まだ終わらない。すみませんが、すごい眠いんですけど(笑) ブルースががんがん鳴っている中で起きてるだけの修行のような状況になってきましたよ。。 その後の記憶がまた飛んでいますが、やっとのことで午前2時か3時に終了です。じゃあ帰ろっか?ということで、みんなが車に戻ります。こんな状況でも運転手は私です💦 意識がもうろうとしてますが、、そんなことは誰もかまってくれませんが。。霞む目をこすりこすりハイウェイを恐る恐る走って、ホテルまで帰ってきました。午前4時ごろ?よくぞ睡魔に負けずに生きて帰ってきたと思うのですが。。こんな私が運転しててみんなは怖くないのか?命知らずな奴らです(笑) ホテルについたところで、同僚たちは、「じゃあねー」とお気楽な感じで各自の車で家路についたのでした。こんなこといつもやってるのか?アメリカ人、、もう勘弁してください!
  • 初めての海外出張(外資系の場合)
    前回、生まれて初めての海外出張で舞い上がった話を書きましたが、今度は、外資系の場合の海外出張について書きます。 日系のメーカに5,6年勤めた後、外資系(本社はアメリカ)の通信企業に転職しました。世の中は貿易摩擦だ、非関税障壁だ、と騒いでいるころでしたので、日本は海外製品を買わないとけしからん、的な雰囲気だったので外資系がここぞとばかりに日本市場に売り込みをかけていたころです。 そんな世間の雰囲気はこの際どうでもいいです。大事なのは自分のことだけ(笑) 勤め始めてしばらくして、やっぱり本社に行って担当者同士が顔合わせしないとだめってことでアメリカ出張することになりました。今度は1人です(笑)現地の空港でお迎えもありません(笑)お膳立てはなんにもなし! 事前に手配してもらえたのはフライト(ノースウェストのビジネスクラス!何がいいってマイルががっぽりたまるです!)とホテル(郊外のホリデーイン、これは結構しょぼいホテル)だけっす。あとは自分でなんとかしなさいというやつです。まあ、子供じゃないので、自分でなんとかできるはず! 成田発のオヘア行きの直行便です、フライトは13時間くらいでしたっけ? 時差のせいで、夕方出て、到着はお昼すぎみたいな感じでした。あんまり寝てないのでへろへろですが、とにかくタクシーでホテルまではたどり着きました。翌日はレンタカー屋に行って車を借りました。(記憶が定かではないのですが、なぜか空港でレンタカーを借りず、ホテルの近くのレンタカー屋で車を借りたのは覚えてます。)見た感じ並んでる車はおんぼろ車ばかり、その代わり安いんですけどね。Mustangとかなんかすごそうな車、でもボロボロなのを借りました(笑) ホテルから会社のオフィス(というか工場)までは車で20分くらいでした。車以外の交通手段はないのでとにかく車借りるしかないわけです。 ここで生まれて初めての左ハンドルですよ、ウィンカーを出すつもりでワイパーを動かすのはあるあるでしょうが、とにかく、すべてが初めての体験です。特にビビったのがセルフ給油です。(当時の日本にセルフはまだなかったのですよ皆さん!)ガソリンを自分で給油する、しかも、アメリカで!(笑)マジか、もう心臓バクバクです(笑)見よう見まねで、給油しましたよ。もう挙動不審だったに違いありません(笑)きょろきょろしながら給油して、慌てて逃げるように走り去っていく私(笑) しばらくそのまま走っているとなんだか後ろから煽ってくる車がある~!!! げー やばい、なんかこれはやばいんじゃ? 逃げよう~!とドキドキしながら、そのまま走り続ける私。そのうち信号で止まることになり、追いつかれてしまいました。。うわー 何されるんだ? と身構えてたら、後ろの車から運転手が窓をあけて何か叫んでます!結構深刻な形相です。え?なに?なに? と思いながらバックミラーで後ろを見ると給油口のフタが開いているが見えます。あ、給油口のフタが開いてるのに気がついた親切な方が一生懸命私に知らせようとしてたんですね!なんだー(笑)いやあもう生きた心地がしませんでしたよ。。 さて、車を降りて給油口を見るとフタが開いているだけじゃなくて、給油キャップがない! ガソリンスタンドでパニックってたので、キャップを忘れたままここまで走ってきてしまいました。げげ、これはまずいですよ。下手するとガソリンが出てきちゃいます。給油キャップ無くなりましたって、レンタカー屋に言ったらどうなるんだろう?といろいろ不安なことばかり。。 こうなったら自力でなんとかするぞ!ってことで、車の部品屋さんみたいなところを見つけてそこで探すとありました!給油キャップ(笑)お値段 1ドルくらいしたんですかね、よく覚えてないけど。。とにかく、助かりました。 車関係の話は他にもあります(笑) 別の時期の話ですけど、同じく出張中に車運転してて、ボーとしてたのか、信号待ちの車にコツンと追突してしまいました!💦軽くぶつかっただけなので、バンパーが凹んだりはしてないレベルだとは思うのですが、でも、日本だったら絶対「ちょっと警察呼びましょう」ってなるなっていうシチュエーションです。あー やっちゃったよ。。。こんなところで警察か。。 そうだ、ここはアメリカ、こっちが悪くても絶対、I am sorryって言っちゃいけないんだよな、、どうしよう、、とか思いながら、前の車の様子を伺っていました。すると運転席が窓を開けて、腕を出して来て、なんだか「オッケー」のジェスチャーしている雰囲気です。なんと!ドンマイ、気にすんな!と言ってくれているみたいです(笑)そして何もなかったように走り去って行きました。ありがとうアメリカ人!
  • 初めての海外出張で舞い上がる!
    新卒で入ってから3年くらい経ったころだったと記憶しているのですが、私に初の海外出張のチャンスが巡ってきました。毎日4H働いてたことが報われたわけですかね? いいですか?海外出張ですよ!しかも行先はアメリカ、ニューヨーク!どうっすか?もう大変っすよ(笑)もう大興奮で、仕事になりません(笑) 実はたったの1週間の出張なんですけどね。課長のお供というかカバン持ちという役割。。そんなことはどうでもよいのです(笑)海外には行ったことない私でした(学生の時にインドに行っただけ💦)ので、まあ嬉しかったですね。しかも!乗るのは夢のJALのビジネスクラスですよ!「ついに俺もここまで来たか!?」と、どこにも来てないのに、感慨にふけってみたり(笑) 今は多分ないんでしょうけど、あの頃の日本の会社の海外出張にはなんとも手厚いサポートがありましたよ(笑) いまでも覚えているのが、初めての海外出張には会社から5万だか6万だか支給されてスーツケースを買ってよいという規則が!スーツケースかあ、そんなもん買ったことありません。調子に乗ってサムソナイトかなんか、買ったような。 飛行機に乗ったことがないってわけではありませんが海外便のビジネスクラスは生まれて初めて(笑)フライトの最中は課長の隣に座って、書類を確認したりしちゃってちょっとできるビジネスマンのフリをします(笑) さて、この出張の目的は、お得意さんのエンドユーザ(当然、アメリカ人)がうちに製品を買ったんだけど、いまいち調子が悪いからなんとかしろとクレームが来たと。そのお客さんは現地のディーラーにとっての大口のお得意さんなので、ディーラーがアメリカ支店にクレームし、それが本社経由でうちの工場になんとかしとろと依頼がきて、そして下っ端のエンジニア(私)が、ハンダごてと部品持参で、お得意さんのところへ修理に向かうという話なんですけど(笑) さすがに修理だけじゃあ、ということで、課長がアメリカ市場の視察もするってことになった感じなのです。課長が言うには「日本の本社からわざわざエンジニアが来てくれたというアピールが大事」なんだそうで(笑) 修理そのものは大したことないのですよ。。実際、抵抗を2つ交換するだけだし。 しかも!お客さんがいるのは実はノースカロライナで、ニューヨークじゃありません。でも最初の泊まりはマンハッタンのホテルです!(笑)成田からJFK空港へ、空港からはアメリカ支店の出迎えの車で、マンハッタンのホテルにチェックイン!そのあとはなぜか焼肉を食べに行きました(笑)その後はホテルに帰ってきましたが、「ここはマンハッタン!」と思うと興奮して眠れません(笑) 結局時差ぼけもあって、ほとんど眠れず午前5時ごろには一人でホテルを出て、通りをうろうろ歩きまわる始末。。 そしてマンハッタンからロングアイランドにあるディーラーに車で連れて行ってもらって、そこでディーラーさんにご挨拶。(ここで初めて、アメリカ人が名刺を投げてくるのを体験して、衝撃を受けます(笑))その後は時差ぼけで座ったまま意識が飛んでましたので、何があったかよく覚えておりません(笑) 次はいよいよお得意さんのいるノースカロライナに国内線で移動します。そこでも現地のディーラーの担当者が待っててくれて、得意先まで連れてってくれます。もう、ほんとに段取りがいい!アメリカ人、すごいじゃん! さて、ここでいよいよ仕事です!(つまりここまで何も仕事をしていないってことです(笑)) 日本から持ってきたハンダごてを取り出し、抵抗を2つ交換して修理完了!作業には 1時間もかかってないっす。夜は、ディーラーの担当がステーキハウスに連れて行ってくれました。Tボーンステーキとか食べたような、、課長は翌日お腹を壊した模様(笑) とにかく、すべての工程が人任せです。これが海外出張ってやつかあ! 自分ではなんもしないでいいんだ!(笑) しかし最後に私の出番がまたやってきます!最終日にホテルから空港に向かうところはなぜか手配がされてなく、普通にタクシーを使いました。ここは私の出番です!英語のまったくできない課長の為に私がカタコトの英語でタクシーの運転手とお話して無事空港に着いたのでした(笑) いやあ、なんとも充実した海外出張でした(笑)帰国後の時差ボケで2日くらい休んだ記憶があります(笑)だって現地ではほとんど寝てなかったんですよ。 今思えば、こんな致せりつくせりの海外出張してるんだ日本の会社の社員は、、ということですね。その後、外資系で働いてた時の海外出張との差がすごくて笑えます。 次回は、外資系の場合の海外出張について書いてみようかと思います。では!
  • 外資ってこんなに野放し?
    今回は外資系で働き始めたころの話を書きます。時期は90年代前半です。まだインターネットは世の中に普及しておらず、仕事の連絡手段はもっぱら電話とFAXです。そんな中で一応時代の最先端を行っていた通信機の会社だったので、社内ではメールが使えるようになっていました。電子メールですよ!パソコンで文章書いて、クリッと送ったら数十秒のうちにアメリカの本社に届くんです! すごすぎる!!って状態でした。しかし、日本のお客さんにはそんなもん使えるわけもなく、せっせとワードでお手紙書いて、プリントして、FAXで送るんですけどね。 さてその会社では社員はマッキントッシュを1台支給されてました。マッキントッシュです。今のマックとはわけが違います。こんなデッカイやつです。当時はWindows95が出る前なので、MS-DOSマシーンが普通だった頃(MS-DOS上で一太郎使ってワープロのように使うのが主流)ですので、マッキントッシュすごい!マウスが使える!みたいな感じですかね。でもよくクラッシュしてたので、1週間の仕事が一瞬でパアになるという悪夢が現実に起こっておりましたよ。。ほんとにあれは、涙がでます。。。 それはとにかく、会社に行くと最新の高価なマッキントッシュが自由に使えるのです! グラフィックスも最先端!すばらしい!しかし、これを仕事に使うと言っても、ワードでお手紙書くくらいです。性能を使い切ってるとは言い難い。なんとももったいない! 今も昔のPCの性能をフルに使うならゲームでしょ(笑) ということで、なぜかゲームのフロッピーがオフィスにあります。誰かが買ったのか?自分で買った覚えがないので、多分誰かが買ったんでしょう(笑)あのころの熱いゲームと言えばフライトシミュレーターです。マイクロソフトフライトシミュレーターです。とにかくデカイソフトなのでフロッピーで10枚くらいになります。 夕暮れのオフィスの中でカタカタと音を響かせフロッピーを10枚出したり入れたりしてフライトシミュレーターをインストール。そして最初はセスナ、そのうち調子に乗ってジャンボなそを飛ばして遊びます。しばらくして、「マウスじゃあ雰囲気出ない!」ってことでジョイスティックを自腹で買った記憶があります(笑) 会社のオフィスで堂々とジョイスティック使ってフライトしてたのか?? さすがにそれは、どうなの?仕事中ですよ(笑)ちょっと記憶があやふやですが。。 緩かったので、多分やってたのではないかと(笑) すごい会社にいたもんです。一応言っておきますが、結果は出さないとやばいですから、仕事はやる時はがっつりやります!ゲームはあくまで息抜きですよ! 今時の仕事の合間にスマホでゲームするようなもんですね、多分(笑) ついでに言うとあの頃はちょうどWWWが始まったころでMosaicとかNetscapeとかが登場したころです。なんと画像付きでいろいろ見られる!ってことで、ネットサーフィン(今では死語ですね(笑))も大事なマッキントッシュの仕事になってました! 時代は変わってセキュリティーがうるさい昨今では外資だろうがどこだろうが会社パソコンにゲームどころか何も入れることができなくなりましたね。まあ自分のスマホはあるからゲームはスマホでやるんでしょうけど。。。 結局、私たちは自由になったのか不自由になったのか(笑)
  • うちの部に女性社員がやってきた!
    昔の話や最近の話を行ったり来たりして書いております。「会社員時代の話」ですが、今日はまた昔の会社の話です。 工場に配属されて、ラジオ体操と特許公報を読む朝の日課の日々の中。1年経った翌年の春、ついに私にも後輩がやってくる季節がやってきました。おー 先輩面できるぞ!と思っている頃のことです。 そのころは男女雇用機会均等法が成立、施行されたころです。理系の女子などほとんど世の中にいない、特に工学部には、皆無と言ってもいい状況でした。 当然、私が配属された設計部門の職場にも女性社員はいません。パート従業員さんがいるだけです。ちなみにパートさんが何をするのか?と言うとお茶くみ、お掃除だけじゃありません。もっと大事な仕事があります!それは「ワープロでの清書」です!部署に1つだけあるワープロはパートさん専用になっていたのです。なぜなら、おじさんというか男性社員はワープロが使えません!(笑) すべて手書きです!そして清書をパートさんにお願いするのです。今では考えられませんよね。実は当時でも私にはびっくりでした。私より上の先輩方はキーボードを使ったことがないようで。人差し指でポツポツとキーを押してみたり(笑)その点、パートさんは偉い。それほど若くはないパートさんでしたが、すぐに使い方を覚えてしまったようです。 困るのは私はワープロで直接書きたいのに、ワープロは部署に1つしかないし、清書用なので、使わせてもらえないのです。。。なので、私も手書きで書くしかありません。やれやれ。 ついでに書きますが、書類は手書きですから、字が読めない!ってことがよくありました。特に、上司の課長の達筆すぎる字が読めない(笑) こちらが書いて提出した書類に、質問やら指示を書いて戻してくれるのですが、うっ、読めない!「すみません、なんて書いてあるですか?」なんて聞けるわけもなく(笑) 話を戻します。とにかく女性と言えばパートさんだけ、という職場っすよ。そこになんと新卒社員が配属されてくる中に1人女性がいると!!そんな噂が職場を駆け巡りました! これは大変だー! どうしよう。。。みたいな(笑)当然ですが新入社員として配属されるわけですから、私と同じ仕事をするはずなわけです。こんなきったない職場に来て大丈夫なのか? みんな何年も洗ってないサンダルを履いてますよ(笑)まずいんじゃ? 余談ですが、あの頃の職場ではなぜかみんな靴履いて出勤してくるけど、会社に着いたらすぐに机の下に置いてあるサンダルに履き替えるのです。そして帰りにまた履き替える。どうみてもサンダルは何年も洗ってないし、ボロボロですよ。そんなサンダルをペタペタ、ズリズリ音をさせて歩くわけです。まあこれはいろんな会社で見られた光景ではないかと。。私はあれが嫌で嫌で、、その後は絶対サンダルを履くような職場には行くもんか!と誓ったわけです。以上余談でした💦 しばらくして新人たちが配属されたらしいです。しかし噂の女性社員を目にする機会がなかなかありません。こちらはみんなそわそわです(笑)一応どんな人なのか気になるじゃないですか?(笑)そして私は1年先輩になるわけだし、先輩面してみたいじゃないですか。。 でも何日経っても座っている姿を見ることがなく、噂では営業のお手伝いに行ってるとか。。ふーむ。。 その後数か月経ち、どうもその配属はなんとなくなかったことになったようです💦 本人が嫌だと言ったのか、真相はわかりませんが、まあよかったのではないでしょうか。とにかく、若い女性がこんなところに来ちゃだめっすよ。
  • 初めての通訳のお仕事は実はキンカンの売り子!
    これも一応、会社員時代の話ということで、私が初めて通訳をしたときのことを書きます。ということはかなり最近の出来事です(笑) 10年くらい前、私は会社員をしながら通訳学校の夜間コースに通っておりました、定年になった時の役に立つかなあ?ってノリで通い始めたのですが、最初の学校は、雰囲気に馴染めずに1年で脱落し、別の学校に通っていました。そして通い出して確か3年くらいたったころにOJTということで初めて仕事をする機会がやってきました!まだ会社員しているころなので、有給を取ってのOJT参加となります。 皆様の中にも同じ経験をされた方もおられるのでは? 最初の通訳と言えば、OJTと言えば、そう展示会です!展示会のブースでの商談通訳ですね。 昔、会社員としてよく行っていた展示会はCEATECとかWirelessJapanとかでした。まあ電気通信業界なので、参加する人も当然メーカーの人だらけ。展示場をうろうろして、競合会社の展示をじろじろ眺めるのが常でした(笑)食べるものでもないし、もらえるものもないし(笑)地味な展示会です。 しかし、今回の展示会は違います!主催は、JICAです! そして扱うのは日本の食品の数々!海外のバイヤー向けに商談するってやつですね。こんな展示会は初めてです!ということでかなりテンション上がってます!学校で10人程度取りまとめてJICAに通訳を送り込むわけです。 当日の朝はJICAの事務所に行き、ご挨拶と名札をもらったりしたあと会場に徒歩で向かいます。会場で各自の担当ブースが割り振られて、今日から3日間の職場に配置されます。私が担当することになったのは、本業は栗の加工食品を扱う会社です。展示ブースでは栗とキンカンの甘露煮が主力商品として陳列されています。なぜ栗とキンカン?なのかはわかりません。まあどっちもジャパニーズな食材だし外人受けすると思われたのかも? ちなみに他のブースは、日本酒の酒蔵とか、お餅やさんとか。。どっちにしてもこちらは選べる立場ではありませんので、とにかく与えられた任務をするまでです!それがOJTというものでしょう(笑) さて会場では皆さんスーツをばっちり着込んでおりますし、私も普段はまったく着ないスーツ(外資系社員はスーツを着ないのです(笑))を着ておりますぞ!で、何するのか?というと、通訳が出番となる商談などそんなに滅多にあるものではありません。ということで、まずは呼び込みと言うか、売り子ですね(笑) 一通りの商品説明を受けた後は、トレイに試食用キンカンを一粒いれたコップを並べて、それを手に持ちながら「キンカンご試食いかがですかーー??」と声を張り上げるのです。これが最初の通訳としての仕事かあ、と感慨深いものがあるようなないような(笑)しかし、なかなかに文化祭のノリで楽しいではないですか(笑)50過ぎたおっさんがご試食いかがですか?って、なんだかすみませんね。こんな経験なかなかできないですよ(笑)皆さん気軽に受け取って食べてくれます。「ふむふむ、甘いねえ」とか言いながら、そのまま去っていきます(笑)結構な勢いでキンカンがさばけていきます。補充するのも仕事のうちです。バックヤードの小さい部屋で、缶詰の缶を開けて、1つ1つをプラスチックのカップに装っていきます。大昔にやった居酒屋のバイトを思い出すなあ(笑) 結局初日は商談は1つもなく、私は売り子として立派に業務を完了したのでした(笑) しかし、これが私の通訳デビューです(笑) その後の2日目には商談が2つくらいありまして、一応お仕事致しました。時間にして30分程度でしょうか(笑) 3日目も同じように2つの商談をして、なんだかんだで展示会終了です。会社の社長さん(2代目の若旦那でまだ30代の若者)にはお土産に栗のお菓子セットをいただきました! でもキンカンはなし。多分この3日間で試食の傍らつまみ食いしまくっていたのでもう要らないだろうと思われたのでしょう(笑)はい、3日で一生分食べた気がします(笑) 以上私の通訳デビューのお話でした。
  • 特許の思い出(笑)
    前回、ラジオ体操と特許公報がエンジニアの朝の日課だ、という話をしましたので、ちょっと続きの話を、、ラジオ体操の続きではなく、特許の続きです(笑) 特許というと皆さんどんなことを思い浮かべますかね? 昔なら発明王エジソンとか?(笑)ちょっと古すぎですかね。最近だと世紀の大発明、青色ダイオードを発明して、そして会社を訴えて有名になった中村さんとか? しかし、青色ダイオードはねえ、すごいですよ。エジソンの電球以来の大発明ですよ。いまや青色ダイオードなしには世の中が回らないと言っても過言ではありません。 私の特許の思い出はもっと小さい話です(笑) 前回書いたように、電気メーカに勤めてた頃は特許を書くのはノルマでして、つまんない特許ばかり書いてました、書いたものの中で出願までしたものはわずか、さらには審査請求して正式に特許になったのは1件だけ、です。今でもエゴサーチするとたまに特許データベースに残っている40年前に書いた特許が出て来たりして、懐かしー!みたいな(笑)今や内容読んでも何がしたいのかよくわからない発明なんですけどね💦 さて、特許は誰でも出願できます。お金さえ出せば。出願はできます。しかし出願しただけでは特許にはなりません。審査請求をして審査を受けて、認められて初めて特許になります。審査請求にもお金がかかります。また特許として認められるかどうかは、当然内容次第です。ということで特許取得までの道のりはなかなかに大変です。会社の社員として特許書いてる時は、出願から先は別の部署の人がやってくれてたので、気にしなくてよかったんですけどね。でも世の中には頑張る人も多く個人で特許を取得している人も多くいます。しかし内容は、正直、うーん、それってアイデアは悪くないけどどうやって実現するの?みたいなのが多い印象です。なので、特許はもっているけどそれを使って何か作ってるか?というとそういう例はレアと言えます。 私が外資系メーカーに勤めていたころの話ですが、そのときなぜか私は技術全般の窓口っぽい担当になってまして(他にも技術の人いるんですけど、皆さんは専門があって私は何でも屋みたいな感じだったからか)社外から来る問い合わせやなどで技術関係のものが回ってくるようになってました。社外からの問い合わせで技術関係って何かというと、「私はxxの特許を持っています。貴社とぜひ協業して特許を使った製品開発をしたいので、よろしく」みたいなやつです。 こんなお手紙(実際立派な封筒に入ってて、宛名は毛筆で書かれてたり、気合が入っていることだけはわかりますが💦 そして、差出人はかなりのご年配と推察されます)が、会社の社長宛に来るんです。当然社長は日本語読めないし、そんなヒマもないので、社長秘書がつかつかとやってきて「これってどうなのよ?」と私に聞くわけです。私がふむふむ、とお手紙を拝読しましてですね、「これはボツですね(笑)」と返事するわけです。偉そうにすみませんが、あまりに実現性のないアイデアで無理やりとった特許とか(特許にならないレベルのものは実用新案とかいうのもあり)なので、どうにもならないわけですね。 私が勝手に想像してみると、こんな感じでしょうか。会社を定年になり、暇なので、アイデアをいろいろ考えて特許を取ってみた(大変ではありますが、お金があればなんとかなります)でも自分で製品開発できるわけでも事業を起こせるわけでもなく。「だったらこの特許をxx社(一応グローバル企業)に売れれば一攫千金だ!よし!まずは社長宛に手紙を出そう!」となったのではないかと。。 さらに時は流れて、今度は私自身が会社を定年になり。テックよしきサイトを立上げて、同時通訳交代支援アプリなぞを作ってみたりしまして、「同時通訳交代支援アプリは特許取れるんじゃね?」と公知情報を調べてみて、「先願された特許はなさそうだぞ。特許出願しようかな!」と考えるに至り、手続きとかかるお金を真面目に調べてみたら、かなりの時間とお金がかかることがわかり。「審査請求まで持っていくのは大変だなあ」となり。現在諦め中なのです(笑)なかなか特許取得するまでの道のりは大変です💦 ここまで来てやっと、あの時、手紙をくれた人はすごいなあと思ったのでした。あの時、ボツにしてすみませんでした(笑)
  • エンジニアの朝の日課はラジオ体操と特許公報を読むことです
    工場の朝の日課と言えばラジオ体操です!工場にいるエンジニアも例外ではありません。私は小学生のころからラジオ体操が大嫌いでしたので、これがかなり苦痛でした。始業前にラジオ体操ってなんかザ日本の会社!って感じですよね。幸いなことに朝礼や社訓の唱和みたいな儀式はなかったので、その点では恵まれていた職場と言えます。 ラジオ体操をおざなりにやったふりしたあと席について、一息ついたら次は回覧板に目を通します。回覧板にはいろんな書類が含まれてます。例えば技術雑誌とか業界紙とか。でも毎日必ず入っているのが特許公報です。USの場合はガゼット(Gazette)と言います。最近公開された特許のサマリーが書かれている書類です。USと日本の特許が対象だったので英語と日本語がありました。人の書いた特許を読むのって結構面白いんですよ。 どれどれ?って感じで、読んでみて、「へー すごいじゃん」とか「うわあ、こんなのでも出願してるんだ」とか、自分の事を棚にあげて上から目線で批評しながら読むわけです(笑) 今思えば英語のガゼットを読む習慣はその後の英語習得にかなり役立った気がします。特許の文章は、様式が決まった文章なので、様式がわかってしまうと意外にすらすら読めるのです。味も素っ気もない文章ですけどね。 ところでこちらはエンジニアですから特許は読むだけじゃありません! 書く方も求められます。会社にはなんと1人あたりの特許件数ノルマがありました。特許のノルマってどうなの?と思いますが、営業のノルマと同じようなもんなんでしょうか?(笑) 特許って要するに発明ですから、そんなに簡単にできるもんでもなく、、でも「今月はノルマ強化月間です!」みたいになって、みんなが本業の合間に特許をごりごり書くのです。(あの頃は書類は全部手書きです!ワープロは部署に1つだけ、清書用にあるだけです!)そんな状態の中、苦し紛れに今の仕事と何の関係もない特許を書く人も出てきます。私もいろいろ書きました。しょうもないものもいっぱい書いたはずです。その中で実際に出願され、審査請求して、審査をパスして、ほんとの特許になったのは1件だけですけど(笑)それでもちょっと自慢!(特許の権利は発明者に帰属しますが、それを格安のお値段で(たしか1500円だったか。。)会社に売り渡すんですけどね(笑)) そういえば、「お風呂の浴槽に羽根を付けて、お風呂兼洗濯機にする」という「え?それってどうなんでしょう?」なアイデアを書いた先輩もいました(笑)うちは無線機を設計する部署なんですけど、洗濯機の特許ねえ、あれはその後どうなったのか?今でもちょっと気になります(笑)
  • 工場で働く!最初の仕事はコピーでした!
    さて、新入社員の頃の話の続きです。手厚い1か月の入社研修を終えて、各自が配属先に散っていきました。ほんとに配属って適当というか運と言うか、こっちは何の希望も出してないし。。。希望の配属先くらい一応聞いてくれてもいいじゃんよ、と今では思いますが、その時はそれが当たり前だったようで、あまり深く考えてなかったです。はい。流れに身を任せる感じですね(笑)寄らば大樹の陰ってやつですよ!一応、新卒社員を1000人も採用するような大企業なので、ここなら一生安泰のはず! 私の配属先は郊外の工場となりました。都内から電車で2時間くらいかかります。通えるわけもなく、さっそく都内の会社の寮から工場の寮に引っ越します。といっても荷物がそんなにあるわけもなく、段ボールに数箱だったでしょうか。 配属先は、無線機の設計をする部門です。設計部門は工場の中にありまして、設計した製品を隣の工場の製造ラインで作るわけです。製造ラインには青い制服を来たパート従業員さんたちが、椅子に座ったまま、のんびり部品を組み立てています。製造ラインといってもベルトコンベアでもなく、結構のんびりしておりましたよ。 一方、設計部門がある建屋は大部屋!って感じの、大きな部屋でした。天井がすごい高い!工場なので当たり前かもですが。。とにかう工場の中に机を並べてエンジニアがせっせと部面を書いているのです! しかも!当時はタバコ吸い放題なので、皆さん、タバコ咥えながら、設計書を書いてます!机の上の灰皿には吸い殻が山のように!さらに天井が高いので照明が行き届かず、暗い! それぞれの机(いわゆるスチールデスクってやつ?)にデスクスタンドが置いてあってそこだけ眩しい感じです。薄暗いなかタバコの煙がもうもうと。そんな中で電話があちこちで鳴ってたり、電話越しに大声で話す声が響き渡ってたり。。。 突然ですがブラックレインという映画をご覧になったでしょうか?1989年公開の高倉健、松田優作、アンディガルシアそしてマイケルダグラスが出演、大阪が舞台のヤクザ映画ですが、あの映画で警察署内のシーンがあるんです。警部補の高倉健が登場するシーンですね。そこは大部屋で、タバコの煙が漂う、薄暗い、いかにもアジアな感じのごちゃごちゃしたパンクな感じの警察署。何が言いたいかと言うと、あの警察署を想像していただくとどんな職場だったからわかるかと(笑)後になってこの映画の警察署のシーンを見て「あーこれってあの時の工場みたいじゃん!」と思ったことを思い出します。 そんな職場で、新入社員の私はどんな仕事をしたのか?いきなり設計なんかできるわけがありませんので、雑用からスタートです。雑用と言えば今も昔もコピー!ですよね!私の最初の仕事もコピーでした。しかし!言っておきますが今時のコピーとはわけが違います。コピーと言うより、青写真、英語ではブループリント(英語のブループリントを和訳して青写真になったのだと思いますが?)で、当時のコピーとは青写真を焼く作業なのです!もうやり方の詳細はわすれてしまいましたが、青い感光紙に紫外線を当てて感光させて、光が当たったところは白くなるという原理を使って図面を複写するってやつです。当時の設計書や図面のコピーはそうやって作るのです!かなりアナログな作業なので、慣れないと紙が青いままだったり、白くなりすぎたり、失敗するわけです。この作業を先輩に教わって、1人でできるようになるわけです。紙のサイズもA1とかA2とかなのでデカイので、なかなかに難しい。こういう作業もコツを覚えるとうまくできると嬉しいです!今時の書類をセットして、コピーボタンを押すだけ、のコピーよりは達成感が違います!(笑) そんな仕事をしながらも、「タバコ吸いながら仕事できるって最高!」と思ったことが懐かしいです。そして、その後しばらくして4Hが普通の大変な目に会うわけですが(笑) 皆さんの最初の仕事はいかがでしたか?
  • 新入社員研修って遊んでていいの?いいんです(笑)
    新人類として入社した私たちを最初に迎えてくれたのは手厚い入社研修でした(笑) 時はバブルの真っただ中でしたので、私たちは、「バブル入社組」と後世の世代に後ろ指をさされているのでしょう(笑)まあ気持ちはわかりますが、実は、バブル入社組だからと言って浮かれてたわけじゃないんです? あの頃はバブルという言葉は当然ながらありませんでした(振り返ってあの頃はバブルだったとわかるわけですから)。当時の雰囲気は、地価高騰で東京近郊ではもう家は買えない。マイホームを買うと通勤時間片道2時間以上、、もう持ち家は諦めよう。もう日本の土地は高すぎる、一生働いても家も買えない、みたいな。お先真っ暗な感じです。バブルで浮かれていたのは土地や資産を持っている人達で、ただのサラリーマンには家が買えなくなっただけなんですよねえ。 さて入社研修に話を戻します。入社して配属が決まるまで約1ヶ月間は入社研修の期間でした。新入社員約1000人?が研修所みたいなところに集いまして、クラス分けされて、いろいろ研修をするわけです。そこでどんなことをしたのか?日本を背負って立つサラリーマンになるための特訓をしたに違いない!のですが、実はあんまり覚えていません(笑) 名刺の渡し方とか、お辞儀の角度とか、エレベータの上座下座とかを特訓したのかなあ?あんまり記憶にないです。そんな中、鮮明に覚えているのは班でチームを作って壁新聞を作ったこと、それと、最終日に運動会をやったことです。小学校かよ?(笑)1ヶ月間も給料もらいながらいろいろやったんですけど、覚えているのはそれだけ。。すみませんね(笑) 壁新聞ですが、そのころの最新ツール、ワープロで作ったんですよ!!みんなワープロを触るのははじめて初めて!タイプライターとかキーボードを触るのも初めての人が多かったのではないかと、特に文系のかたは。そんな中、私は、マイコン少年でしたので、キーボードのタイピングはばっちりです(笑)ワープロにもすぐ慣れました。あの頃のワープロは確か60万円くらいしたのではないかと、、そんな高価な機械を3人に1つ使わせるこの会社、太っ腹ですね(笑)そんな最新のワープロを使って作るのはしょうもない壁新聞です(笑) まず内容がくだらない。学生が適当に思いついたギャグみたいな記事を書き散らかしているだけ。中には社長をネタにしたウソ記事(今でいうフェイクニュースですね!)を書いちゃったりして。今では許されないのではないでしょうかねえ。ほんと新人類は好き勝手なことやってました。というか研修で壁新聞作らせたのは会社側なので、新入社員としては言われたことをやっただけ、なんですけどね。 そして、研修の最終日は運動会です。考えてみれば、会社で運動会するというのはあの頃は普通だったので、研修の一環で運動会するのも当然だったのでしょう。運動会したくらいでチームワークができるわけもないんですが、ただ1日運動会で遊んで、研修が終了しました~! その後、それぞれの配属先が決まってばらばらに日本全国に散っていったのです。そして私は「4Hが普通」の工場に配属されまして、いよいよほんとに仕事をすることになったのです! そこではどんな仕事ぶりだったのか?次回、もうちょっと書いてみたいと思います!
  • ペーパータオルは外国人専用です(笑)
    嫁入りの儀があったころの話をついでに書きます。 私が勤めている外資系A社は、協業している日本メーカB社の工場に一角を間借りしておりました。そこは郊外にある歴史ある工場です。つまり古いってことです。2階建ての工場建屋の2回の角部屋が私たちA社が借りている部屋でした。多分60年代か70年代に作られた工場がそのまま使われています。普通の家庭ならとっくにリフォームするところですが💦 外資系の社員にとってはこれはかなりショックでしょう。A社のオフィスはxxヒルズにあるような綺麗で快適オフィスなのに、このプロジェクトのメンバーだけはB社の工場という純和風の工場が仕事場です。私は若いころは日系メーカの工場で働いた経験があるので、まあそのころに戻った(30年くらいですが(笑))だけのことではあります。ある意味懐かしい雰囲気です(笑) プロジェクトのメンバーの半分は外国人でした。出身は欧米やらアジアやらいろいろでした。アジア系はまだいいですが、欧米系の人にとってこの環境は辛かったようです。特に問題になったのは、「トイレにペーパータオルがない!」こと。 エコなのか経費削減のためなのか?多分後者だと思われますが、トイレにはペーパータオルもエアータオルも何も置いてありません。要は自分のハンカチで拭きなさいってことですね。ここでは間借りしている立場なので、文句も言えず、というか言っても相手にしてもらえなかったという状況でした。 そんなある日、私の上司が異動になり、後任のアメリカ人が日本に赴任しました。そして初めてB社の工場にやってきたのは夏の暑いころでした。アメリカ人はテキサスの出身で、大柄の女性です。駅から工場まで歩いて大汗をかいて(駅から工場まで田舎道を炎天下の中10分ほど歩きます)やっと工場に到着。その足で工場のトイレに立ち寄りました。その後なかなか出てこない。あとで聞いたのは、トイレにペーパータオルがない!!と困り果てて、手も拭けず途方にくれ、結局手がびちょびちょのまま出てきたのだとか(笑)アメリカ人ですから、ハンカチなんか持ってないのが当然のようです。 よっぽどこの体験がトラウマになったようで(笑) そのアメリカ人上司はその後いろんなところでいろんな人にこの話を触れ回っていたようです。「日本の工場のトイレにはペーパータオルもない!」と言ってたのかどうかはわかりませんが、まあそんな感じだったのでしょう。。。 しばらくして、いつの間にかトイレにペーパータオルが置かれるようになりました。そして、タオルを置いたそばに小さい紙に印刷された注意書きが、、「外国人専用 Foreigner Only」と。。えー! 外人はいいけど日本人は使っちゃだめってか?「外人に(しかもちょっとえらいやつに)文句を言われると弱い」を地で行くこの対応、でも なんだかせこすぎるぞ。この会社一応日本を代表する会社なんですけど。。(´・ω・`)
  • 「嫁入りの儀」がドン引きでした
    最近はじめた「会社員時代の話」シリーズですが、意外にも読んでいただけているようで、数人の方から、「面白い!」とか、「そんなドメドメな会社にいたんですねー」などのコメントをいただきました。そうなんですよ。。いろいろなドメドメな会社に勤めた経験があります。日本人として生まれ育ってきた以上しょうがないですね(笑) しかし今となってはそんな経験を面白いネタとして語れるようになったので、それはそれでよかったかな。と思っております。 さて、今日のお題は「嫁入りの儀」です。(これは実話を元にしたフィクションです。) この話、実はそんなに昔のことではありません。今からおよそ10年くらい前のことです。10年前なので、すでに21世紀ですね(笑)そんな時代に正確な名前は忘れましたが、私の中では「嫁入りの儀」と呼んでいる謎イベントを目撃しましたので、その話をします。 まずその前に背景説明です。私はそのころは日系の会社とはお別れしまして、外資系企業に勤めておりました。転職を何度も経験しました。カッコよく言うと外資を渡り歩いていたってやつです。実態は、リストラされて、転職し、行った先がやばそうなので、逃げ出して転職し、気が付いたら何社も変わってた。。という感じです💦 日本にある外資系企業(つまりグローバル企業の日本支社)の仕事ですので、実はいろんな形で日本の会社と関わるんです。その逆は日本の会社に勤めていた時(4Hの会社など)で、日本メーカとして海外向けの製品を作っていたので、顧客は外国人、外国企業だったんです。 さてこの時、日本のメーカと協業して製品を開発して、日本の顧客に納品するというプロジェクトが立ち上がり、私はそのプロジェクトのPM(プロジェクトマネージャ)をしておりました。つまり外資系企業側のプロジェクト責任者(私)と日本メーカ側のプロジェクト責任者が共同で開発プロジェクトを進めていたのです。固有名詞はあれですし、外資系と日本メーカと呼ぶのも面倒なので、ここでの外資系企業をA社、日本メーカをB社として話を続けます。 外資と日系が一緒に仕事する、それだけでやばそうな雰囲気しますよね(笑)わかる人にはわかると思います。 さらにはそのころ私たちA社の仕事場はB社の工場を間借りしていていました。まあ一緒に協業するんだからしょうがないんですが、この工場の環境があまりにすごいので、A社のプロジェクトメンバー(日本人と外人半々)には相当評判が悪かった。(その話はまた今度。) そんな中、いろいろ紆余曲折はありましたが、開発、テストが無事完了し、開発した製品が顧客に納品されることになりました。そんな時のことです。「出荷式をやります、A社さんも参加ください」みたいな通知がB社から届きました。某日の月曜の朝9時から、工場内の講堂で開催するそうです。私は正直「月曜の朝9時から?そんなの誰も来ないよ」と思いましたが、案の定、外人社員は誰も来ません。そりゃあそうですよね。意味わからん儀式ですし。なので、当日A社から来ているのは立場上来るしかないPMの私と、その他Noと言えない外資系だけど日本人の社員だけ、当然ですがB社の方々は全員来ています。 会場の講堂は小学校の体育館くらいの大きさです。かなりの大きさです。そして壁にはこの日の為に紅白の横断幕がぐるっとかかっています。最近みたことない紅白の横断幕が!これは相当すごいことが起こる予感です。A社はあくまで呼ばれただけですので、進行には一切関わっていません。B社の議事進行をただただ眺めています。椅子もないので、立ちっぱなしで、ステージ上で繰り広げられる挨拶を聞いています。私は一応PMなので、最前列に立っています(笑) ステージでは最初に偉い人の挨拶です。あれ?いきなり英語の原稿を読みだしました。この日の為に用意してきたようです。しかし、ここに外人社員はひとりも来てませんが💦そこは誰も気づかないふりをします。しかし、本人は気づいているのかいないのか?目の前には日本人しかいませんけど?(笑) 英語の原稿を一通り読んだ後は、普通に日本語での挨拶が延々続きます。校長先生な感じですね。 挨拶の後は、B社社員による寸劇がステージ上で繰り広げられます。学芸会?? よくわかりませんが、セリフはちゃんと覚えているような感じなので、それなりに準備してきたのでしょう。すごいなあ。寸劇が進むにつれて、話の内容が見えてきました。どうも納品する製品(ただの電気製品ですが、、)を「うちの娘」と見立て、明日はその娘がお客様の家に嫁入りするという話のようなのです。「xx様のところに行っても精を出して頑張って、可愛がってもらうんだぞ😢」「はい、おとっつあん!今まで育ててくれてありがとうございました😢」なんていうセリフが出てきます。「おしん」か? 製品の出荷を嫁入りに例えるっていったいどういうこと? ちなみに娘は納得しているのか?それとも借金のため無理やり?などいろんな妄想が広がります(笑) 目の前で繰り広げられる光景があまりにショッキングでその後どうなったのか?はあまり覚えていません。えらいもん見ちゃったな。というのが正直な感想です。これを外人社員が見ていたら、大変なことになっていたのでは?とも思ってみたり。 今思えば、これはジェンダーなんとか的にアウトではないのか?と思うのですが、、当時はMe too movementもまだなかったころですので、このくらいはオッケーだったのでしょうか? 男女雇用機会均等法ができたのはこの時からさらに25年前の1985年だったんですが、何も変わってなかったってことなんですかね(笑)
  • 4Hが普通でした。。。
    新卒で入った会社は、大手の電気メーカーです。そして配属されたのは、たまたまですが、無線機を作る工場の設計部門でした。 子供のころは「ラジオの製作」という雑誌が愛読書で、「大きくなったらエンジニアになってラジオを作りたい!」が、将来の夢だったので、配属先が無線機の設計ということはラジオを作ると同じこと、ということで、あっさり夢がかなったわけですが、世の中は甘くなかったですね、「エンジニアになってラジオを作る」は、夢でもなんでもなかった💦 配属されたのは東京郊外の工場で、工場の敷地にある社員寮に住むことになりました。朝は8時15分に就業開始です。でもその5分前にはラジオ体操をするので、8時10分には会社にいないといけません。工場なので朝が早いっす。そして終業は5時15分なので、早いと言えば早い。しかし!定時に帰る人は皆無ですから、意味がありません。5時15分から15分の休みを挟んで、5時30分から夕方の部が始まります(笑)7時頃にまた30分程度の休みがあって、この時間に食堂で夕食を食べます。そして、10時に終了。ということで一日の残業時間は4時間になります。よく覚えているのは、残業時間のことをなぜかHと呼ぶのです。4時間の残業は4H(ヨンエイチ)と呼びます。そして毎日4Hが続きます。4Hじゃない日は週一回ある残業ナシ日のうちの月一回ある完全残業ナシ日だけ。 残業ナシ日と完全残業ナシ日の違いはなにかというと、残業ナシ日は一応残業してはいけない(なのでやってもよい)日で、完全残業ナシ日は、残業は絶対してはいけない日なのです(笑)してはいけない日は、してもいいけど、絶対してはいけない日はしてはしてはいけないってことだったんでしょうか?もうよくわかりませんけど、みんな疑問に思っているようでもなく、素直に従ってました。。世の中ってそういうもんだったんですね。世間知らずな私は、完全残業ナシ日に残業をするという暴挙をしてしまい、すごい怒られた、という経験がいまもトラウマというか懐かしい思い出です。残業ナシ日には残業してもなにも言われないというか普通にみんなしてたのに、完全残業ナシ日に残業するのは理由のいかんにかかわらず絶対ダメなのです。ほんと、なぞルールです。 さて本題は4Hです(笑)とにかく毎日4Hなので、仕事が終わるのは午後10時。寮に帰って、風呂入って寝るだけです。そして朝は8時過ぎには出社していないといけません。睡眠時間は自ずと短くなります。なんだかんだで6時間くらいですかね。毎朝、朦朧としたまま会社に行ってました。 しかし!私なんか寮にいるから通勤時間ほぼゼロなのでまだいい方です。中には東京の自宅から通勤している人がいました、東京からここまでって2時間かかりますけど💦 それで4Hの残業するってどういうこと?? いつ寝てるのか?なぞです。。。 4Hですが、ほぼ毎日、年中でした。忙しい時期とはヒマな時とは関係ありません。いつも4Hです。別に仕事がいっぱいあってもなくても4Hです(笑)なぜか?それが普通だからです。 さてここでの本題は、なぜ4Hなのか? つまり、なぜ「4時間の残業」と言わずに「4H」と言うのか?「4Hの残業」とも言いません。ただ「4Hする」と言います(笑)4Hって、、鉛筆かよ!(笑) 私なりに考えた結論は、4時間の残業を4Hしたと言うと4時間も残業した気分がすこし薄くなるんじゃないかと。毎日4時間も普通に残業している異常に慣れてしまうには4時間を4Hと呼べばいい!ってことではないかと思うのです。人間慣れって怖いですね(笑) 以上40年も昔のことでした。今はどうなってるのかなあ?
  • 英会話教材押し売りに騙されました💦が今となっては許してあげます
    会社員時代の話の第2弾を書こうを思ったのですが、実は思い出したのは、学生時代の話でした、が、せっかく思い出したので、忘れないうちに書きます! 地方から上京して大学の埼玉キャンパスに通っていたころの事です。学校から徒歩5分の学生専用の下宿に住んでいました。家賃は格安の4500円! いくら昔でも家賃4500円は格安でした(笑)部屋の間取りは4.5畳、トイレ、キッチン、お風呂は共用という学生寮みたいなところでした。周りは畑だらけ(笑)なにせ埼玉なので。 さて、そこにある日突然スーツを着たおっさん2人組がやってきて、各部屋をノックして回ってきました。訪問販売ってやつですね。私は田舎から出てきたばっかりで、こういうのが初めてなので、ついつい部屋に招き入れてしまったのです。と言っても4.5畳の部屋ですから、2人が部屋に入れるわけもなく(笑) ドアを開けたところにクビだけ出して話を聞いている恰好です(笑) 要は英会話教材の訪問販売だったんですね。セールストークはこんな感じでした。「これからは国際化の時代ですよ!英語ができないと絶対損しますよ!どうですか?この教材で英会話がマスターできるんです!英語がペラペラになるんだったら私なら1億だって払いますよ!でもこの教材なら 一日のコーヒー代500円程度で英語ができるようなるんです、安いもんですよ!!」とまあ今でも、よく覚えてます。適当なこと言いやがって(笑)田舎もんはコロッと騙されるですねえ。。 そして今なら考えられないですが、まんまとその気になってしまい、その場で、合計30万の3年ローン契約をしてしまいました💦まだクーリングオフ制度もないころです。4500円の下宿に住んでいる学生が30万のローンを組むなんて尋常ではありませんよね。案の定、その後はローンの支払いにバイト代が消えていき。。そして届いた教材は、カセットテープが20巻くらいあるけど、大した役にも立たず。。特典として英会話教室に参加する券がついてましたが、数回英会話教室に行っただけで終了。残ったの学生にとって大金のローン残高だけ。英語はぜんぜんできません、当たり前です。悔しいです。 しかし!そこで話は終わりません。リベンジに燃えた私は「絶対英語が話せるようになってやる!!しかも1円も使わずに!!」と誓いを立てました。それからの私は毎日頑張りました!とにかくお金を使わずに英語をマスターするという目標を立てた私は、毎日FEN(米軍の極東放送、当時関東で聞ける唯一の英語の放送)を意味も分からず暇さえあれば聞き続け。よくわからないNewsweekをかたっぱしから読み。日々頑張ったのでした(笑)そしたら2年くらいたってなんとなく英語がわかるように! そして時は流れて40年後、留学とか海外経験ゼロなのに、今では一応通訳として仕事していると思うと感慨深いものがあります(笑)あの時の訪問販売のおっさんがまだ生きてたら、「おかげさまで英語できるようになりましたよ!ありがとう!」と言ってあげたいものです(笑)
  • 「新人類」とか言われてたころ
    大学を卒業し会社員になったのはなんと今からほぼ40年前。まじか!?と思う今日この頃です。が、冷静に考えればもう還暦を過ぎているのですから、そういうことになりますよね。。光陰矢の如しです、とか言っている自分がちょっとダサい(笑) さて、59歳で会社を定年ちょっと前退職してからすでに3年ちょっとになります。今でもたまに会社員時代の光景が思い出されることがあります。あんなことがあったなあ。。。とか。思い出すのはたいていの場合、二度と経験したくないことだったりしますが、今思い返せば、笑えないこともない? どんなことでも時がたてば笑い話になる?かな?ってことで、、適当に思い出したことを書いてみようと思います。通訳とはなーんの関係もありませんが面白がっていただければ幸いです。昔の話ではありますが、さすがに固有名詞は出さない方がいいかと思いますので、そのあたりはぼやかして書きますのでご了承ください。「それってどこの会社??」と気になってしょうがない方は、個別にお問い合わせください。こっそりお教えするかも?です(笑) ではいきましょう! 第一弾です! 私は転職を10回以上した経験があります。私の年代では相当珍しい方ではないかと(ちょっと自慢でもあります)。 ですので、会社員時代と言ってもいろんな会社の記憶が入り混じっております。。 大学を卒業して新卒で大手の電気メーカに就職しました。時はバブルの真っ最中。応募したのは学校推薦のこの1社だけ、面接時間は5分でした(名前と大学名を聞かれたことしか記憶にない(笑)) 即決だったというか、落ちるなんてありえない、な雰囲気でした。こんな調子ですから、世の中を舐めておりましたね。会社を選んだ理由?と言われても、業界の1番手じゃつまんないので、2番手の会社がいいと思ったからと言いたいのですが、実は、単に学校の成績でほぼ自動的に決まっただけでした。なにも考えてなかった。。。今じゃ考えられないんでしょうねえ。念のために言っておきますが、大学は別に一流でもなんでもないです、就職には強いという評判だけはあった2流の工業大学です。あの頃は理系なら誰でもよかったのでしょう。。。 4年生の夏には就職先も決まったので、後は卒論だすだけ。卒論も実は結構適当にやってました。その辺の要領は割といい方なので(笑)それより、最後の学生時代なんだから、海外に行かなくちゃあ!ってことで、アルバイトに精を出して、旅行資金をためるのに忙しい日々でした。そして卒業旅行ということで春休みには目一杯休むことにして、ここでいかなかったら、会社員になったら一生行かないだろうと思われた目的地、インドに旅立ったのです(笑) (注:そして今はインド系のIT企業にお世話になっております。毎日インド人とお話してます。これも何かの縁?) 大学の卒業式は別にいいやってことで、すっぽかして、会社の入社式の2日前にインドから帰国し、すぐに引っ越しして、会社の寮に入りました。さすが大手企業です。社員寮がちゃんとあります(笑) (が、実は、待遇はかなりブラックだったことがあとでわかるのですが、、その話はまた別の機会に。。) 4月1日、入社式が本社で行われました。その年、1985年は確か1000人以上の新卒社員が入社したはずです。本社にそれだけの人数が入るのもすごいもんですが、私は後方の席で前が見えないので社長の顔は結局一度も見えませんでした。前方は着物姿の女子社員が占領してます。テレビの取材が来るので、カメラ映えするようにわざわざそうしてたんですね。女子社員は実際1割もいないのに、映像には半分以上が女子社員が写ってました。これが世の中ってもんか、と思ったような気がします(笑) 当時の新入社員は「新人類」とか呼ばれてました。それだけ今までとは違う人種だったんでしょう(笑)私もそう思います。世の中を舐めた真似をしてたのは間違いないですが、世の中もそんなに甘くはない(笑) 痛い目にも合うわけです。入社式に関して言うと、入社式でガムを噛んでいるのを役員に見つかり、即刻クビ?になった社員がいるという噂が新入社員の間を駆け巡りました。実際クビになったのか?怒られただけですんだのか?真偽のほどは分かりませんが、まあガム噛むくらいなら私でもやりそうです(笑) 自分じゃなくてよかったー(笑) ということで、第1弾は、入社式についての思い出、でした。まだ何の仕事もしてませんね(笑)次回はちゃんと仕事の話を書きたいと思います!